2013年02月04日
節分
昨日は大牟田で知人の葬儀に参列致しました。
故人は知人の母上ですが享年81歳。
女性としては、やや早すぎるご年齢に思えますが、
長患いされたようではなく安らかなお顔でした。
上は33才から高校生まで、9人のお孫さんが一堂に祭壇の前に立ち
涙ながらの弔辞。
読み上げるというより切々と故人へのお別れを述べられて・・・・
参列者の涙を誘いました。
多分に幸福な人生を送られたのだと思うと心和みました。
合掌。
その帰り道
家内と道の駅大牟田、三加和温泉物産館、JA鹿本夢大地を回りました。
節分です。
節分には恵方巻きを食べて豆まきをしなければなりません。
歳時に喧しい家内のことですのでそれは我が家では欠かせない。
ところが朝から家を出てきていて何も準備ができていない。
で、物産館に寄れば『恵方巻き』も豆もあるのではと。
大牟田はもう何も残っていませんでした。
三加和では多いの少ないのと言っているうちにレジの前に残っていた
3本入り恵方巻き3セット
他のお客さんに掠め取られてしまいました。
夢大地は当日2,000本用意してあったそうですが
僕らが4時過ぎに行ったときは10本程度が残っている状態でした。
流行もんは恐ろしい。
1本420円。
ちっと高いが、催事もんはしょうがない。
しかしいったい何時から節分に恵方巻きなんぞと言うようになったのでしょうか。
Wikipediaよると、
発祥には諸説あるそうですが、
大阪船場の旦那衆が行った花街でのお遊びが元と言うのが有力だそうな。
昭和7年に大阪鮓商組合や海苔協会が
『節分の丸かぶり寿司』と銘打ってチラシを出した。
その後1998年にセブンイレブンが『恵方巻き』と名付け全国販売した。
ああ、やっぱそうか。
やられました。
大阪商人もだがセブンイレブンはもっと商魂逞しい。
さてこうして夕食はふたり南南東に向かって粛々と終わったのですが
いかん!豆まきの豆を忘れてました。
キッチンを捜し回っても調理用大豆もでてこない。
「これどう?」
と家内が出してきたのは 『濡れピーナツ』
「ピーナツはないやろ!しかも 『濡れピーナツ』 って!」
あとの掃除が大変です。
仕方なく、煮豆用に買ってあった「うずら豆」を手に
「オニワ~ソトオ!」
「フクワ~ウチイ!」
さて鬼が逃げ出したかはともかく、福さんはおいでいただいたでありましょうか。
故人は知人の母上ですが享年81歳。
女性としては、やや早すぎるご年齢に思えますが、
長患いされたようではなく安らかなお顔でした。
上は33才から高校生まで、9人のお孫さんが一堂に祭壇の前に立ち
涙ながらの弔辞。
読み上げるというより切々と故人へのお別れを述べられて・・・・
参列者の涙を誘いました。
多分に幸福な人生を送られたのだと思うと心和みました。
合掌。
その帰り道
家内と道の駅大牟田、三加和温泉物産館、JA鹿本夢大地を回りました。
節分です。
節分には恵方巻きを食べて豆まきをしなければなりません。
歳時に喧しい家内のことですのでそれは我が家では欠かせない。
ところが朝から家を出てきていて何も準備ができていない。
で、物産館に寄れば『恵方巻き』も豆もあるのではと。
大牟田はもう何も残っていませんでした。
三加和では多いの少ないのと言っているうちにレジの前に残っていた
3本入り恵方巻き3セット
他のお客さんに掠め取られてしまいました。
夢大地は当日2,000本用意してあったそうですが
僕らが4時過ぎに行ったときは10本程度が残っている状態でした。
流行もんは恐ろしい。
1本420円。
ちっと高いが、催事もんはしょうがない。
しかしいったい何時から節分に恵方巻きなんぞと言うようになったのでしょうか。
Wikipediaよると、
発祥には諸説あるそうですが、
大阪船場の旦那衆が行った花街でのお遊びが元と言うのが有力だそうな。
昭和7年に大阪鮓商組合や海苔協会が
『節分の丸かぶり寿司』と銘打ってチラシを出した。
その後1998年にセブンイレブンが『恵方巻き』と名付け全国販売した。
ああ、やっぱそうか。
やられました。
大阪商人もだがセブンイレブンはもっと商魂逞しい。
さてこうして夕食はふたり南南東に向かって粛々と終わったのですが
いかん!豆まきの豆を忘れてました。
キッチンを捜し回っても調理用大豆もでてこない。
「これどう?」
と家内が出してきたのは 『濡れピーナツ』
「ピーナツはないやろ!しかも 『濡れピーナツ』 って!」
あとの掃除が大変です。
仕方なく、煮豆用に買ってあった「うずら豆」を手に
「オニワ~ソトオ!」
「フクワ~ウチイ!」
さて鬼が逃げ出したかはともかく、福さんはおいでいただいたでありましょうか。
Posted by 風街ろまん at 15:08│Comments(0)