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2012年05月22日

農業と地域おこし

先日の『カンブリア宮殿』、三重県阿山町という何処にでもあるような過疎の町にある“伊賀の里モクモク手づくりファーム”なる会社を紹介していました。
25年前、農業の現状に疑問を持った二人のJA職員が脱サラし、農産物の生産・加工・販売を一手にやろうとして立ち上げた会社です。

「農産物には生産者側の価格決定権がない。」
と言うのが彼らの最初の思いだったようです。
ここには流通機構を握るJAや大手流通業者に組み敷かれた農業生産者の姿があります。
JA職員であった二人は生産者側に立ち、そのことに疑問を持ったと言うのです。

ここには農業生産者の誇りは微塵もありません。
若者は当然ながら、誇りなき農業を継ごうとはしません。
若者は地域を去り、後継なき農業は地域と共に荒廃していくのみ。

であった、と僕は思います。

今ここにきて農業は見直されています。

高度経済成長期の大量生産・大量消費の時代が終わった時
「スーパーに並ぶ野菜や果物、食肉からは生産者の顔が見えない。」
という消費者側の素朴な疑問から始まったようです。

これまで都市の大手流通業者は生産者の思い、消費者の思い双方を代弁する努力を放棄していた。
自らは売る立場であることだけしか考えなかった。
本来生産者の代弁者であるはずのJA自体も、組織維持を優先し生産者の利益を守ろうとはしなかった。
と言うより、生産者と消費者との間に壁を作りお互いを見えなくしてしまった。

のではないかと考えます。

消費者の顔が見えなければ生産者も手を抜く。
どうせ買い叩かれるのであれば「美味い」「安全」よりも量を束ねて効率よく出荷した方がマシと。
消費者は「美味い」「安全」にはコストがかかることが知らされず、「安い」だけが消費の選択肢となってしまいます。

さて、この10年、いろんな食品偽装が発覚し消費者は憤りましたが、そもそも「美味い」「安全」と「安い」は並び立たないものです。
この単純な計算を放棄して『善意の被害者』を演じている消費者サイドにも少なからずこういった事件の責任があります。
自らが消費者の代弁者を任じるマスコミもそれは言わない。

すみません、話が脇道に逸れてしまいました。

最近の新しい農業の試み。
企業の農業進出ではカゴメやJR各社、ワタミファームなどがありますね。
JAもこのところ直売場を増やしていっています。
それらは農業の生産性と信頼性を高めようとする新しい農業の形だと思うのですが、殆どは従来の生産者の試みではありません。
それは農業に新たな勝機を目論む大手資本や組織の動きであり、地域の農業の形としてはまだどこか完結していないような印象を僕は持ちます。

でもって今回のモクモクファーム。

「農業なき農村は農村とは言わない。農業あってこその農村です」
その実現のために
「農村全体を産業化する。農業で生活できる経済拠点を創る」
ことを目指すと言う。

事業形態自体は決して新しいものではありませんが、
常に消費者を生産者サイドに呼込み相互の理解を深めるためのアクションを行いながら荒廃した地域農業再生のためのプログラムを実行し続けている点で秀逸だと思うのです。

同社の木村社長はこう言っています。

『消費者はお客様ではなく仲間なんです。』

そうか、そういうことか。
お客様は騙せても仲間は騙せない。

ダマすと言う言い方は語弊がありますが“お客様”は今買ってくれる対象であって長くお付き合いすると言う概念からは遠い。
今買ってもらうために美辞麗句を並べるより、消費者に農業を理解してもらいその地域の輪に入っていただくようなアクションを続けよう。
そう言う考え方なんだと理解しました。
地域を基盤として生きていくには本来一番大事な思想のように思います。

長くなりましたが、村上龍は番組編集の後記でこう結んでいます。

『二人の「修さん」は、わたしと同世代だった。収録では、同級生と久しぶりに会っているような、懐かしい気分になった。全共闘世代よりは少し下で、闘争の渦中にいたわけではなく、すぐ近くで「目撃」した。全共闘は挫折し、浅間山荘事件など、結末は悲惨だった。だが、「常識や権威を疑ってみる。考え方やシステムは変えることができる」という重要な視点を残した。
二人の修さんは、東京の真似を拒み、政府に依存せず、地域の食材を充実させて自立を目指す。そういった志と戦略だけが、地域経済の活性化につながる。』

※二人の「修さん」とはモクモクファームの創業者、木村修さんと吉田修さんのことです。
地域興しに係わるものには欠かすことのできない大きなヒントのように思います。
因みに「全共闘」以下のくだりは、同世代として胸が熱くなりました。

詳しくはhttp://www.jfc.go.jp/a/information/manage/agr_others/070402.html




Posted by 風街ろまん at 17:01│Comments(2)
この記事へのコメント
伊賀市は、私の父の故郷で、何度も行った事がありますが、馬見原どころではない、山の中に父のの実家がありました。

しかし、数年前、すぐ近くに温泉施設が出来、とても賑わっているそうです。

田舎も田舎なりに、色々と活用出来るものがあるはずなんですよね。
Posted by 梅子 at 2012年05月22日 23:49
梅子さま
そうですか。
それは羨ましい。

私の実家は阿蘇で、家は農業をやっていました。
やっていましたと過去形なのは、既に実父は高齢、跡を継ぐ筈の兄も早逝したからです。
父が元気だった頃は、辛抱しながらせっせと田んぼを増やしたのですが、今ではその借り手もいません。
稲作で手を広げようとする農家など皆無だからです。
常々、矛盾していると思います。
とうに故郷を出た自分ですが、故郷が失くなるかと思うと忸怩たる思いです。
Posted by 風街ろまん風街ろまん at 2012年05月23日 18:04
 
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