2011年11月04日

木村充揮ライブ

昨夜はジャンジャンゴー屋上ガーデンで木村充揮のライブ。
家内と楽しんでまいりました。

木村充揮ライブ

       (ライブは撮影禁止ですので写真は本人公式サイトから拝借)

木村充揮と言ってもぴんと来ない向きもおられるでしょうが、
僕らオールドブルースファンには木村君と言えば 『憂歌団』 。
木村君は98年に活動を休止した伝説のブルースバンド 『憂歌団』 のボーカリストなのです。

熊本は7年ぶりとのことだそうで、
へえ、あれからもう7年・・・・。
こちとらの記憶も曖昧になってくる年代になりました。
木村君は今でも月に10件以上のライブを続けている様子。
彼は奇しくも僕と同学年なのです。

風貌はそれなりにふっくらぽってりして自称ビリケンに似てきましたが
振り絞るような声は相変わらずの 『天使のだみ声』 。
ツヤもハリもデビュー当時のまんまやないか。
よう頑張るなあ。

マニヤックな僕らシニア世代ばかりがちまちまと観に集まってくるのかと思っていましたが、
なんのなんの、半分は若いひとで、会場はいっぱいの大盛況じゃないですか。
『君といつまでも』『この道』などのカバーやCMソング、NHKみんなの歌などでメディアへの露出が増えたからでしょうか。

すみません、これから35年前のフルーイお話です。
『憂歌団』 の熊本初ライブは彼らのレコードデビュー間もない76年のことではなかったかと思います。
僕はその日、大学の音楽仲間5,6人と連れ立って会場の郵便貯金会館に行きました。
客席に入ってすぐ友人らと唸った。
800人収容できる会場でしたが、観客は一番前から2,3列だけ。
まことに気の毒なほどの寂しさだったのです。

デビュー曲 『おそうじオバちゃん』 は木村君の衝撃的な歌声と、日本の音楽シーンでは珍しいラグタイムの薫り漂う音と、いかにも大阪人、サビのきいたユーモラスな歌詞で、ラジオから流れるなり僕らを虜にしました。
しかしその 『おそうじオバちゃん』 は1か月も経たずに放送禁止の運命に。
清掃従業者への職業差別であるとのバカバカしい民放連の判断でした。
それやこれやで、彼らの名は世に広がるまでにはなっていなかったかも知れません。
特に大阪独特のあのアクの強さは熊本ではポピュラーになりにくかったかも。

しかし、その日のコンサートの演奏は大盛り上がりで、ウルウルの僕らは何度も何度もアンコール。
観客全員がはしゃぎまわりました。
彼らも都度それに応えてくれて、7回も8回もアンコール演奏をしてくれたのです。
いやあ、よかった!

そんなことを思い出しながら。
観客も木村君も酒を飲み々々の120分。
いやあ、やっぱよかったあ!




Posted by 風街ろまん at 14:56│Comments(2)
この記事へのコメント
憂歌団!懐かしいですね〜。

大ファンだった兄夫婦に連れられ、コンサートに行ったのは、もう20年以上前です。

奥様と、いい時間を過ごされましたね。
Posted by 梅子 at 2011年11月04日 21:27
梅子さま
そうでしたか。
いいものは、いつまでもいい。
いぶし銀の輝きを増してました。
Posted by 風街ろまん風街ろまん at 2011年11月07日 22:34
 
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