2011年10月21日

駅伝シーズンスタート

今年も10月10日の出雲全日本学生選抜駅伝を皮切りに駅伝シーズンがスタートしました。
23日には全日本学生女子駅伝が行われます。

駅伝シーズンスタート


大学、高校、中学校、実業団、各団体の長距離選手が夏の苦しい練習を経て成果を花開かせる晴れ舞台のシーズンです。
観客側にとってみれば、トラックの1万メートルやフルマラソンもそれなりに面白いのですが、駅伝に勝るエキサイティングゲームはありません。
尤も、それは僕のような数少ない駅伝オタクの感想なのですが。

なによりもチーム競技であること。
勿論、サッカーや野球もチーム競技なのですが、これらは競技が開始してもある一定の枠内で調子の悪い選手の交代が可能なのに対して、駅伝は走り出したら区間を終えるまで選手交代ができません。

昨日まで絶好調だったのにいざ走り出してみれば調子が上がらない。
それどころか腹痛や肉離れ、脱水症などで走ること自体ができなくなってしまう。
こんなトラブルはよくあることです。
ファンならずともご存じのとおり、コースの個々の区間が総て20km前後と他のレースと比べて長い箱根駅伝などは、毎年のように脱落するチームが出てきます。
所謂、『襷がつながらない』途中棄権。

たとえそれがスタート区間で起きたとしても、そのチームはこのレースの勝敗からは除外されてしまいます。
たとえ区間を完走して襷は繋げたにしてもライバルに2分、3分と差をつけられれば取り返しがつきません。
我が身一身が諦めを受け止めれば済むようなものではありません。
それだけに個々の選手の責任への重圧は計り知れない。

2008年の箱根駅伝では
順天堂大(5区)、大東文化大(9区)、東海大(10区)
の3チームが途中棄権する事態になりました。
特に東海大は最終10区、それも大手町のこの角を曲がればゴールが見えるというあと僅かの地点でのリタイヤでした。

最も印象深いのが1996年の山梨学院大です。
もうあれから15年が経ってしまいました。

当時、山梨学院大は前々年、前年と優勝しこの年も優勝候補の筆頭でした。
4区は同大エースの中村祐二君。

彼は球磨農業高校卒で一旦社会人を経た後に大学に入学した変わり種ですが、箱根は過去2年連続で区間賞を取っています。95年の3年生時にはびわ湖マラソンで優勝しその年の世界陸上に出場するなど当時陸上界期待のランナーでした。

彼は4区1kmも行かぬ内から片足を庇いだします。
それから何度も何度も立ち止まり、上田監督は12km地点でついに彼の肩に手を触れ棄権。
正月のおとそ気分を吹き飛ばす極めてセンセーショナルな事件でした。

後年、彼は日刊スポーツの取材でその時のことをこう話しています。

 96年の箱根では2日前の調整で右足に痛みが走りました。かばわないと走れない状態。ただ深刻には受け止めませんでした。スタート直前も痛かったけど「走り始めたら何とか押し切れるかな」と。痛み止めも打ちました。でも、1キロも走ったらダメだったんです。・・・・・・
ごぼう抜きされて歩きだし、止まる場面が多くなった。そこで初めて「タスキも渡せないかも」と思った。上田監督は自ら手を出そうとしないし、私も出してほしくなかった。でも12キロすぎに審判員の声が聞こえた。「これ以上ダメだ。監督が触らなくても棄権だ」と。そこでグシャッときました。頭は真っ白でした。・・・・・・
レース後、同期の選手に「控えをなぜ信用しないんだ。チームはお前だけのものじゃない」と厳しく言われました。慰めの言葉より強く心に響いた。旅館ではひざまずいたまま、寝られませんでした。自分を正当化する理由も考えた。ずっと悔やみました。・・・・・・・ 
勘違いしていたんです。「自分がいないとチームが成り立たない」と。世界選手権も経験して、ほかの選手と意識が違うと思っていた。自分本位でチームに携わってきたことを、思い知らされました。走る気力がなくなり、過食して体重は、54キロから63キロに増えた。走れない理由をつくるためだったんでしょうね。
 』
(2010年12月21日日刊スポーツ記事より抜粋)

過酷ですね。
そしてとても残酷です。

スポーツゲームが本来持つ残酷さは共通のものでしょうが、これほど具体的に個々の人間性に迫るゲームはありません。
中継所が近づけば、必ず自分の肉体の限界に迫ろうとしてもがく姿がオーバーラップされます。
それだけで十分すぎるほど駅伝はドラマです。




Posted by 風街ろまん at 17:37│Comments(0)
 
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