2010年12月09日
心に残る今年亡くなったひと その1
今野雄二
8月3日 自宅で自殺 享年66歳
実は表題と違って、心に残るとまでは言えないのですが。
ただ、70年台に洋楽を聴きまくって青春期を過ごした僕にとって彼の名前は、
福田一郎、中村とうよう、小倉エージ
らと並び、当時の音楽評論家として、またアルバムのライナーノーツライターとして日常的に目にする名前であり、それは当時の光景ともいえるものだったようです。
現在のようにインターネットで海外の音楽シーンがダイレクトに伝わる時代と違い
海外の音楽シーン、アーティストの情報は、彼らのライナーノーツや、中村とうようによって創刊された 『ニューミュージックマガジン』 などの音楽雑誌を通じてくらいしか、僕らには届きませんでした。
彼らの書いたものからディランやザ・バンドやビートルズ、ローリングストーンズ、ツェッペリンなどを身近な存在にしていた、そういう時代。
ロックの黎明期でもあります。
今野雄二は、そんな評論家のなかでも少し若い世代で、どちらかといえば80年代のパンクロックへ繋がるシーンで活躍して行ったようですが、70年代当時はエルトンジョンやジョンレノンのライナーノーツを書き、また彼らの作品の訳詩なども手掛けていました。
心に残るとまで言えない、というのは、僕と音楽の関わりようの微妙な時期のズレなのでしょうか。
そこは、中村とうよう、小倉エージとは少し違うようです。
いずれにしても彼の名前には、当時の自分を髣髴とさせるに充分なインパクトだけは含んでいます。
彼は、昨年亡くなった加藤和彦と懇意にしていたようで、若い頃はサディスティック・ミカ・バンドのアルバムへ作詞も提供しています。
60代、加藤和彦と同じ自殺というところに想いが残ります。
66歳という年齢は、オシャレに人生を過ごしてきたものにとっては、もはや希望のない年齢なのでしょうか。
その年齢まではまだまだ遠く、オシャレに生きてもいない僕にとっては理解不能です。
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8月3日 自宅で自殺 享年66歳
実は表題と違って、心に残るとまでは言えないのですが。
ただ、70年台に洋楽を聴きまくって青春期を過ごした僕にとって彼の名前は、
福田一郎、中村とうよう、小倉エージ
らと並び、当時の音楽評論家として、またアルバムのライナーノーツライターとして日常的に目にする名前であり、それは当時の光景ともいえるものだったようです。
現在のようにインターネットで海外の音楽シーンがダイレクトに伝わる時代と違い
海外の音楽シーン、アーティストの情報は、彼らのライナーノーツや、中村とうようによって創刊された 『ニューミュージックマガジン』 などの音楽雑誌を通じてくらいしか、僕らには届きませんでした。
彼らの書いたものからディランやザ・バンドやビートルズ、ローリングストーンズ、ツェッペリンなどを身近な存在にしていた、そういう時代。
ロックの黎明期でもあります。
今野雄二は、そんな評論家のなかでも少し若い世代で、どちらかといえば80年代のパンクロックへ繋がるシーンで活躍して行ったようですが、70年代当時はエルトンジョンやジョンレノンのライナーノーツを書き、また彼らの作品の訳詩なども手掛けていました。
心に残るとまで言えない、というのは、僕と音楽の関わりようの微妙な時期のズレなのでしょうか。
そこは、中村とうよう、小倉エージとは少し違うようです。
いずれにしても彼の名前には、当時の自分を髣髴とさせるに充分なインパクトだけは含んでいます。
彼は、昨年亡くなった加藤和彦と懇意にしていたようで、若い頃はサディスティック・ミカ・バンドのアルバムへ作詞も提供しています。
60代、加藤和彦と同じ自殺というところに想いが残ります。
66歳という年齢は、オシャレに人生を過ごしてきたものにとっては、もはや希望のない年齢なのでしょうか。
その年齢まではまだまだ遠く、オシャレに生きてもいない僕にとっては理解不能です。
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Posted by 風街ろまん at 19:17│Comments(0)