2010年10月14日

9年目の命日

今日は阿蘇の実母の命日、他界して9年が過ぎました。

今でも繰り返し思い出すんです。
母が倒れた日のこと。

当時の僕はまだ銀行に席を置いておいていました。
折りしも10月1日付で熊本市内に転勤となり、旧所属の支店で後任の支店長と引き継ぎを終えたばかりの10月5日午後5時、姉から電話。

母の様子がおかしいので病院に連れて行ったら、今から直ぐに日赤に搬送することになった、と。

昼間、母はゲートボールの試合があったのだそうです。
ゲートボールの大会といえばチームメンバーと何処までも遠征に出掛けていくような元気もんの母でした。

その日試合を終えて我が家に帰った母は、父と茶の間で試合のことなどを話していたそうです。
そうこうする内、急に気分が悪いと母が言い出した。
普段は滅多にそういうことのない母でしたので、父は慌てて車で病院に駆け込んだ。
診断は、どうも脳梗塞を起こしているらしい。

僕は旧職場への挨拶もそぞろに車を日赤へと飛ばしました。
僕が日赤の救命救急センターに到着すると既に家内が待っています。
母を乗せた阿蘇からの救急車は少し遅れて到着。
母はストレッチャーに横たわって目を閉じていましたが、傍に駆け寄り呼びかけると薄っすらと目を開け
『・・・・かい。』と僕の名を口に出し小さく肯きました。

これが母と僕との最後の会話。
そのままICUに運ばれた母はその後一度も目を開けることはありませんでした。

梗塞の部位は丁度後頭部の脳の視神経が集中している辺りの内側にあり外科的にも内科的にも手術ができない状況と主治医から聞かされました。
そのときの父の落胆振りといったら尋常ではありません。
家族全員も沈み込みました。
治療という治療もできず、それから9日後に母は息を引き取りました。

それまで母は家族の誰にでもこう公言していました。
それも何度となく。
『父より先に死ぬ。』
『病気で倒れたら延命治療は絶対してくれるな。』
76才は少し早かったけど、苦しむことなく眠ったまま生を終えた母は本望だったと思います。

この季節は夏の疲れが出る時期です。
過ごし易くなったとは言え、昼間の残暑と朝晩の冷え込みは高齢者の身体にはきっと負担なのでしょうね。
母も昼間のゲートボールのとき適切な水分補給をしていたらきっとこうはならなかっただろうにというのが今も悔やみとして残っています。
先週亡くなった叔父にしても、まだ入院中の山口の母にしてもこの季節と微妙な絡みがあるのは確かです。
どうか皆さん、『うるさい』と言われても、口が酸っぱくなるほど注意されてくださいね。


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9年目の命日



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Posted by 風街ろまん at 19:27│Comments(3)
この記事へのコメント
風街ろまん様
9年になられるんですか・・・
私の父が86歳で亡くなって10年、
10月2日でした。亡くなる前の半年程寝込みましたが気丈でした。
今死んだら(7月頃)葬式に来る皆さんが暑いなーとか冗談も言ってましたから。
家で家族の皆に看取られて逝ったのが
せめてもの慰めでした。
Posted by 金魚の郷の油屋さん at 2010年10月14日 20:22
9年ですか。
まだまだ、悲しみはいえませんよね。

私の母は、他界してもう30年になります。人生の中で一番つらい日でした。

今日、久々に父に電話したら、とても弱っていて、びっくりしました。

母の分、元気で長生きしてほしいと思っていますが、気力もなくなったようでした。近々、息子たちを連れて里帰りしたいと思っています。
Posted by 梅子梅子 at 2010年10月15日 13:44
金魚の郷の油屋さん様
梅子様

ありがとうございます。
お言葉傷み入ります。
とうとう親孝行らしきこともできませんでした。
後悔しています。
その分、今生きている、父や、養母にできる限りのことをしたいと思うのです。
Posted by 風街ろまん風街ろまん at 2010年10月18日 19:08
 
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