2010年08月10日
終戦のこと

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終戦記念日を前に、今日は少々硬目のお話。
TV、雑誌では、広島、長崎への原爆投下と終戦記念日のこの時期、戦争にかかるドキュメント特集が多く組まれています。
戦争を知らない僕ら世代としては、戦争の悲惨さを疑似体験するこれらの番組やノートの重要性を痛感します。
原爆や空襲などの悲惨な映像は兎も角、垣間見えてくるのは、軍部や政府の硬直しきった官僚組織が招いた悲劇であったこと。
根っこには、完全な民主革命とは呼べない急ごしらえの明治維新があるように思います。
今年はNHKの『龍馬伝』が福山龍馬で話題しきりです。
史実の忠実性よりも維新の立役者たちの人間ドラマに焦点が当てられていて、それが評判とも。
それはそれでいいのですが、上士と下士との間にある理不尽な階級差別は描かれていても、一般民衆と士分間の不合理さを扱っている訳ではない。
主役はあくまで当時の為政者側のひとたち。
明治維新の本質は、ドラマで龍馬が言う、
『日本人同士で争うちょる時ではないぜよ。日本は、交易をやって国を富ませ、外国とやりあえる力を持たんといかんちや。』
に尽きます。
それ以上でも以下でもない。
そもそも、国民全てが平等でひとりひとりの幸せを追求することを国が担保するような社会を目指したものではない訳です。
ソ連軍が満州に攻め入ったときに、邦人を守る立場であった関東軍が、邦人を置き去りにしたのも、特攻隊などという非人道的なものを思いついたのも、沖縄を見捨てたのも、苦し紛れに一億玉砕などという言葉を言い出したのも、全ての発想の根源は、ここから国の形ができたということだと思います。
国体の護持という訳の分からない概念がポツダム宣言の受諾を長引かせ、広島、長崎の悲劇を生んだ。
重たい事実です。
先日、何かの番組で日本のピアノの歴史みたいなことをやっていました。
第2次世界大戦の最中、米国は5000台の戦場用ピアノ(スタインウェイ・ビクトリーモデル)を開発し、各地の最前線の戦場へ送ったそうです。
勿論兵士の士気高揚が目的ですが、ああ、これじゃこんな国に土台勝つはずがない。
そう思いました。
どうやら民主主義の出発点が違う。
『コンクリートから人へ』というキャッチフレーズも最近ではぼやけてきました。
ひとの心も、それが織り成す社会と情報をも読めない官僚たちがこさえた作文で作られた箱物施設の成れの果てを見ると、沖縄戦に片道燃料で臨まされた戦艦大和の最期の姿がオーバーラップします。
死屍累々。
この時期は甲子園のダイヤモンドが眩いだけに憂鬱になります。



Posted by 風街ろまん at 21:01│Comments(0)