2010年06月11日

農業について

今日は農業について少し深刻ぶって話してみます。

昨日の熊日夕刊の「もしもし熊日」欄最後に80才を過ぎてまだ農業をやられている方からのご意見が掲載されていました。

『肥料も何もかも上がるのに収入は下がるばかりで赤字、ただ、耕作を止めれば土地が荒れてしまうので何とか続けて来ましたがもう限界です。子供たちには農業を継げとは言えず、今みんな勤めに出ています・・・・。』
こんなことで日本の農業はどうなるんでしょうか、と結ばれてあります。

悲痛な訴えですね。
今に始まった話ではありませんが、これまで農業に対して如何に政治が無策であったか考えさせられます。

実は僕の親父も阿蘇で百姓をしています(というよりしていました、ですが)。

ピークで水田3町歩ほどを耕作していましたが収量は反当り7俵程度ですので全部で210俵といったところ。
政府買い入れ価格はピークだった昭和60年前後で19千円弱でしたので年収は約400万円です。
これが年々下がり現在は14千円程度ですので今も続けていれば300万円弱(減反は勘案していません)の収入です。

この中から肥料代、農薬代を払いトラクターや田植え機械などの償却と軽油、灯油などの燃料費を払います。
それから病気や気候で収穫が激減することもありますので手残りは知れてます。

どうでしょう、父ちゃん、母ちゃん、息子、嫁、総出で仕事をしてそれが現実です。

食べることだけだったら自家米と畑からの野菜、自家加工食品などで何とか可能でしょうが、子供の教育にしても何にしても、生活全般で現金収入がないとやって行けないのが今の世の中です。

そんな中で親父はよく子供を育て、よく僕などを大学までやらしてくれたと思います。
今頃になってそれが分かって感謝する馬鹿息子です。

確かに機械化などで労働力は極端に少なくて済むようになりましたので、この位の規模の農家はサラリーマンとの兼業でやって行けないこともありません。
というより専業でないともう無理なんです。

となると、勤め先である街場まで離れている地域の農家は兼業すらできないので、好む好まないに関わらず若い人たちは農業を継がずに家を出ます。
するとやがてそこは限界集落化する。

ちょっと昔はそこらの余剰労働力を当てにして縫製工場や部品工場ができていたんですが、そういった労働集約型の工場はみんな中国や東南アジアにシフトしてしまいました。

山林ばかりの狭い国土に狭い耕作地。
人口の3分の1の農業従事者。
元々が労働生産性の低い要因に彩られた産業構造です。
江戸時代の鎖国政策と幕藩体制の置き土産です。

戦後、農地改革で一挙に増えた自作農家も加わった零細小規模農家が集まって農業協同組合を作られ、それが時の政府に票という圧力をかけることで保護政策が取られます。
農業保護ではなく農家保護。

その保護政策の下で農家は一定の所得が守られたため競争力の必要性を意識することなく時代が移ります。
そうやって農家は生かさぬよう殺さぬようにされてきましたが、高度経済成長でサラリーマンの労働分配率のほうがはるかに高くなると自然産業人口はそちらへ傾斜します。

残った零細小規模農家も、政府の保護政策と地方への企業立地が招いた兼業による所得改善により競争力や危機意識の醸成にフタがされてしまいます。
そうやって産業としての集約化が進むことなく、ひたひたとやってきた貿易の自由化で一挙に今日の荒廃を招いたのだと思います。

要は、国は産業としての農業を守るのではなく、家業としての農家を守ることに終始してきたため、今、守るべき農家そのものがいなくなろうとしている時、農業という産業自体が崩壊しかかっているということでしょうか。

民主党は農家所得補償と言ってます。

確かに国際化などで国の産業構造が変わるとき、国のセーフティネットは必要です。
しかし国際化に対応するしっかりした構造改革のビジョンと政策あってこそのセーフティネットです。

転換政策を誤った自民党と同じ過ちがまた繰り返されるだけのように思えます。


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Posted by 風街ろまん at 20:29│Comments(0)
 
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