2010年06月03日
『i‐Pad』が作る未来
SoftBankの販売店で実際に『i‐Pad』に触れてきた事務所のオカチャンが
「『i‐Pad』、スゲー!」
から、暫く『i‐Pad』談義となりました。
当然のことながらオカチャンは『i‐Pad』というハードそのものよりも、それを見て触って感じたことでそれがもたらす未来の変化を予感したことを「スゲー!」に込めたのですが。
電子書籍そのものの概念は以前から存在し1990年にはCD-ROMを記録メディアにソニーがリーダーを開発しています。
まだパソコンの普及すらなくインターネットという言葉も流通していないころです。
では『i‐Pad』は何を根拠に未来を変えるのかということなんですが、ネットを使ったコンテンツの取り込み、利用料の課金システムの完備などシステム自体はさして目新しいものでもありません。
既に昨秋アマゾンは『Kindle』なるリーダーを発売済み。
もっとも『Kindle』で購入できる書籍はまだ英語版ですので日本で普及というわけには行かなかったのですが。
両者を比較した記事も最近増えています。
単に書物を読むという機能だけみれば、重量で300gの『Kindle』に対して『i‐Pad』は700gと重たく、バックライト方式の『i‐Pad』は戸外では殆ど読めないなど不評です。
それでは何故に『i‐Pad』は市場に衝撃を与えているのでしょう。
ひとつは『iPot』や『iPhone』で市場を変えたアップルのブランド力にメディアや出版業界や新聞界が始めて反応したということでしょうか。
要するにコンテンツを提供する側が本気になった、本気に成らざるを得ないような未来の変化を予見できた衝撃なのでしょう。
インターネットが普及し始めた頃『Eコマース』は大きな話題でした。
流通が根底から変わる、と誰もが言いました。
それでネット販売にシフトするもの、新たに参入するもの、沢山でてきましたが、初期はなかなかに成果が出ず退出を余儀なくされる企業が殆どでした。
しかしある時から雪崩打つように市場が変わったのも事実です。
そして今は当たり前。
この15年程度の変化ひとつにしてもそんな強弱がありました。
かの談義では「もう出版社は要らないのでは」などの発言も出ましたが、そこのところは少し違うような気もします。
紙の感触、インクの匂い、ページを捲る微妙な音の違いなどノスタルジックなことを言うつもりはありませんが、それでは本は総べて商業ベースかという本の根源的なところまでまだこの流れは包み込んでいないと思うからです。
変な話ですが、僕の感覚ではTSUTAYAは本屋でなく機能としてはコンビニです。
別にTSUTAYAは駄目だと言っているのではありません。
流通のカテゴリーとして違うものと言っています。
TSUTAYAの進出で街の本屋さんは壊滅しましたが僕の感覚でいう本屋はしっかり残っています。
その流れでいくと『i-Pad』が本当に流布するのだったらTSUTAYAは要らない。
というか、店を構えているTSUTAYAは要らないというべきでしょうか。
そういう感覚でしょうかね。
日経新聞の購読料は今、日刊のみで月3,500円です。
しかし先日発表された日経電子版の購読料金は4,000円です。
膨大な古新聞を紐に括って資源ごみの日に忘れないように出す作業はなくなりますが、価格としては、さてどう思われますか。
日経新聞にしては市場を見ながらの価格再検討も必要なのかも知れません。
本当に変わるのか。
紙がなくなる日が来るのか。
いつかは来る、必ず来るけどいつかが判らない。
読み間違うと経営としては大変です。
印刷局に携わるひとにとっても新聞販売店にとっても死活問題です。
藤村正宏さんはメルマガでこういっておられます。
電子出版の場合、
印刷業者がいらなくなる。
運搬業者がいらなくなる。
書店がいらなくなる。
出版元から消費者の手に届くまでの「中間業者」が不必要になるわけです。
さらに、進むと・・・
ある意味「出版社」さえ、いらなくなる可能性がある。
村上春樹さんのような有名作家は1冊1,800円の10%程の印税を貰うより自分のWEBサイトで直接電子出版したら丸取りです。
然り。
しかし、心ある出版社がみんな逝っちゃったら大衆に売れなくても本当に優れた芸術性の高い作品、専門性の高い作品は世に出なくなる、行き着くところゼロサム市場になってしまうのではとの懸念も抱いてしまう訳です。
今の地上波のテレビ業界のように。
安くて大衆受けするありきたりのコンテンツばかりがテレビの番組蘭を占拠する。
そうそう、心配しても始まりません。




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「『i‐Pad』、スゲー!」
から、暫く『i‐Pad』談義となりました。
当然のことながらオカチャンは『i‐Pad』というハードそのものよりも、それを見て触って感じたことでそれがもたらす未来の変化を予感したことを「スゲー!」に込めたのですが。
電子書籍そのものの概念は以前から存在し1990年にはCD-ROMを記録メディアにソニーがリーダーを開発しています。
まだパソコンの普及すらなくインターネットという言葉も流通していないころです。

既に昨秋アマゾンは『Kindle』なるリーダーを発売済み。
もっとも『Kindle』で購入できる書籍はまだ英語版ですので日本で普及というわけには行かなかったのですが。
両者を比較した記事も最近増えています。
単に書物を読むという機能だけみれば、重量で300gの『Kindle』に対して『i‐Pad』は700gと重たく、バックライト方式の『i‐Pad』は戸外では殆ど読めないなど不評です。
それでは何故に『i‐Pad』は市場に衝撃を与えているのでしょう。
ひとつは『iPot』や『iPhone』で市場を変えたアップルのブランド力にメディアや出版業界や新聞界が始めて反応したということでしょうか。
要するにコンテンツを提供する側が本気になった、本気に成らざるを得ないような未来の変化を予見できた衝撃なのでしょう。
インターネットが普及し始めた頃『Eコマース』は大きな話題でした。
流通が根底から変わる、と誰もが言いました。
それでネット販売にシフトするもの、新たに参入するもの、沢山でてきましたが、初期はなかなかに成果が出ず退出を余儀なくされる企業が殆どでした。
しかしある時から雪崩打つように市場が変わったのも事実です。
そして今は当たり前。
この15年程度の変化ひとつにしてもそんな強弱がありました。
かの談義では「もう出版社は要らないのでは」などの発言も出ましたが、そこのところは少し違うような気もします。
紙の感触、インクの匂い、ページを捲る微妙な音の違いなどノスタルジックなことを言うつもりはありませんが、それでは本は総べて商業ベースかという本の根源的なところまでまだこの流れは包み込んでいないと思うからです。
変な話ですが、僕の感覚ではTSUTAYAは本屋でなく機能としてはコンビニです。
別にTSUTAYAは駄目だと言っているのではありません。
流通のカテゴリーとして違うものと言っています。
TSUTAYAの進出で街の本屋さんは壊滅しましたが僕の感覚でいう本屋はしっかり残っています。
その流れでいくと『i-Pad』が本当に流布するのだったらTSUTAYAは要らない。
というか、店を構えているTSUTAYAは要らないというべきでしょうか。
そういう感覚でしょうかね。
日経新聞の購読料は今、日刊のみで月3,500円です。
しかし先日発表された日経電子版の購読料金は4,000円です。
膨大な古新聞を紐に括って資源ごみの日に忘れないように出す作業はなくなりますが、価格としては、さてどう思われますか。
日経新聞にしては市場を見ながらの価格再検討も必要なのかも知れません。
本当に変わるのか。
紙がなくなる日が来るのか。
いつかは来る、必ず来るけどいつかが判らない。
読み間違うと経営としては大変です。
印刷局に携わるひとにとっても新聞販売店にとっても死活問題です。
藤村正宏さんはメルマガでこういっておられます。
電子出版の場合、
印刷業者がいらなくなる。
運搬業者がいらなくなる。
書店がいらなくなる。
出版元から消費者の手に届くまでの「中間業者」が不必要になるわけです。
さらに、進むと・・・
ある意味「出版社」さえ、いらなくなる可能性がある。
村上春樹さんのような有名作家は1冊1,800円の10%程の印税を貰うより自分のWEBサイトで直接電子出版したら丸取りです。
然り。
しかし、心ある出版社がみんな逝っちゃったら大衆に売れなくても本当に優れた芸術性の高い作品、専門性の高い作品は世に出なくなる、行き着くところゼロサム市場になってしまうのではとの懸念も抱いてしまう訳です。
今の地上波のテレビ業界のように。
安くて大衆受けするありきたりのコンテンツばかりがテレビの番組蘭を占拠する。
そうそう、心配しても始まりません。




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Posted by 風街ろまん at 20:39│Comments(0)