2010年03月30日

息子旅立つ

今日、早朝のJRで、息子は東京へと旅立ちました。
東京と言ってもたかが国内の話で、飛行機で2時間もあれば会える距離なのですが、生まれてこの方ずっと同じ家に暮らしてきた生活が、彼にとっても僕と家内にとってもこれっきりかと思うと、流石に寂しさは隠せません。
上の娘が高校を卒業してからはずっと大阪に生活圏を移し、そこで進学し就職し結婚し根を張ったように、彼もまたこれからは関東圏に根を下ろすのでしょう。

親としては、もともと彼らが小さかった時分からの想定内のことですので、離れて生きることに今更どうこうということではないですが、『家族』という括りでは痛みはあります。

この熊本の地は若い人には刺激がなさ過ぎるのかも知れません。
明治維新以来そうやって地方の人材は都会へ流れ続けました。
地方は地方の生活圏があるのですが、それが都市部とまではいかなくても右肩上がりで成長していた時代はさほど不自由なことではなかったと思います。
ミニ東京として街並みも少しづつ垢抜けていくなかでそれなりの刺激もあったからです。

しかし博多まで新幹線が来たのが1975年のこと。
僕はまだ学生でした。
次は熊本といいながらそれから35年。
当時「ひかりは西へ」がキャッチフレーズでしたが、ひかりは博多で止まってしまいました。
何も新幹線が地方都市の発展の基礎要因になるわけではありませんが、熊本にとってこの35年はそういう中央と地方間のギャップが拡大する時代の象徴であったように思います。

僕が大学を出たのはその少し後ですが、当時はまだ僕自身、地元に残るのにあまり躊躇いはありませんでした。
東京の会社の内定は2社から貰っていましたが、何という突き詰めた理由もなく熊本に残ることを選択していました。
本当に何ということもなく。

しかし現在、ここかしこに漂う閉塞感は若者をここに押し止めるのには如何にも無力であるように思えます。

尤も、今という時代は既に地方がどうの東京がどうの云々の話ではなく、人も物もお金も国境を越えてグローバルに移動する時代へと変わってしまいましたが、ただ、海外への多様な接点自体は東京に集約されてしまっていて、そうである以上、起点を東京に変えざるを得ないのも事実のようです。

いまだ地方の時代来たらず。
道州制も闇の中。

息子がどうなりたいのか、彼は何も話さないので知る由もないのですが、これから知ることのできる情報の絶対量は中央には及びません。
それをどれだけ摂取できるかどうかは別の次元なのですが。

市役所で転出証明を取ったとき、ああ、合併でせっかく増えた人口をひとり減らしてしまったなと思ったことでした。


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Posted by 風街ろまん at 19:13│Comments(0)
 
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