2009年06月12日

中国のこと-その4-最後です

僕が中国に行ったのは97年の6月でしたから、12年前のことです。

市場開放から18年経っていましたので流石に都市部では紺やグレーの国民服姿は少なくなっていましたが地味な洋装でした。

北京から天津に向かう際限なく真直ぐな道路は殆ど行き交う車はなく、僕らを乗せたバスは何処までも続く田園風景をただただ突っきって走ったのを今も印象深く思い出します。

夕闇の天津の街は殆ど明かりらしきものがなく、民家のオレンジの灯りと時たまある暗い街灯の灯りだけ。
ほの暗い街明かりの中を夕涼みに散策する大勢の人々の姿を、バスの中から食い入るように見つめました。

中国の生活者を直接見るのは何せ初めてのことだったからです。

北京から天津、桂林、そして上海、4都市を見ました。
上海を除けば街全体が砂埃に燻って赤茶けていたような印象があります。
妙に埃っぽかった。

流石に上海は高層ビル建築のラッシュで、行きかう人々のファッションも割りとスマートでしたが、一歩街裏の路地を歩くと壊れそうなバラックの家が結構残っていました。

当時そういうところを歩くのは実際怖かったですね。
中国自体がまだ身近ではなかった頃です。
あれから12年。

映像やネットで見る街の姿は人々のファッションも含めて格段に進歩したようです。
しかし、中国が抱えた市場主義経済と共産主義政党による一党独裁の内部矛盾は今でも変わっていません。

WTO加盟後は国際社会のルールを学ばねばならず、それまでの著作権侵害などに見られる行儀の悪い自分達だけのやり方というのは通じなくなりました。

また、国民を管理するにしても人権を無視したやり方は国際社会から強い批判を受けます。
加えての国内の大きな問題は、急速な経済発展がもたらした社会主義国家としてはあり得ない激しい経済上の格差です。都市と農村の格差でもあります。

一向に貧しさから開放されない農村の不満のマグマは膨大に溜まってきています。
中国のジレンマです。
市場経済は本来、富への欲望を掻き立てるものです。
機会の均等が保障されないと格差は埋まりません。
急激な国民生活の変化は民衆のコンセンサスを取る間もなく不満の渦を大きくしているように思えます。

今年になって中国は航空母艦の自主建造を始めました。
しゃにむに海軍を強化しようとしています。
覇権主義か。
裏を返せば自国が抱える内部矛盾のはけ口を海外に向けようとしているとも見えます。
昭和初期の日本の軍部のように。

それから溢れる外貨をちらつかせながらの半ば強引とも思えるアフリカ諸国への資源外交。
海外から積極的に吸収してきた工場生産技術もある程度国内蓄積を済ませ、後は自力でOKみたいな態度の変化。

しかし何だかんだ行っても日中関係はもう経済的には切っても切れないところまできています。
互いに批判ばかりしてても仕方ない。
次のステージをどう築くかが重要です。




Posted by 風街ろまん at 23:56│Comments(2)
この記事へのコメント
正直なところ、支那及び支那人については良い面を探そうとしても見つからない感じがしてきます。

卑近なところでは、まず食品が心配で産地を見なければモノが食べられなくなりましたね。個人的には職場や街で出会う彼らにも経験上信用がおけません。外国人犯罪の件数でも彼らが群を抜いています。

覇権主義といえば、ガス田問題や、尖閣問題、潜水艦の領海侵犯など目に余る所業が多すぎますね。彼らが太平洋に出てくるようになれば当然シーレーンも脅かされるでしょう。頭の痛い隣国です。
Posted by 地元市民地元市民 at 2009年06月16日 00:00
地元市民さん
コメントありがとうございます。
有史以来、幾多の民族が覇権を競い、近代は西洋諸国や日本に凌駕され続けた歴史を持つ国です。
その外交戦略は一筋縄ではありません。
世間知らずの日本の外交を思うと先行きに不安を覚えずにはいられません。
Posted by 風街ろまん at 2009年06月16日 08:33
 
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