2009年06月11日

中国のこと-その3- 再び学生運動

中国のこと-その3- 再び学生運動日本の学生運動は69年の東大安田講堂の攻防から敗走し、多くは離れていきました。
ただ、革命を叫ぶ過激なセクトはその教条主義ゆえに世相から遊離し、地下にもぐるか、暴力を伴った実力行使に打って出た結果、浅間山荘事件に至っています。

残るものは背走し最後は全日空機で北朝鮮へ飛んで行った訳ですが、彼ら日本赤軍には彼らが理想とした北朝鮮や中国で何が行われたのか、共産主義革命とは一体どんなものなのかについての情報も、想像力も何もなかったのでしょう。

当時かれらが感じた社会の矛盾や抑圧とはどんなものだったか。

確かに経済優先の国の施策は様々な公害問題や農村の崩壊として社会に影を落としましたが学生達自身もまた高度経済成長の申し子として消費社会に組み込まれていました。

彼らは子供の駄々同様に己のやりたいことを主張し刃物を振り回したに過ぎません。
そうやって行き着いたところにあったセクト間の抗争(内ゲバと呼ばれてました)のほうがむしろ陰惨で、彼らは本来は同じ社会を目指すはずの仲間である多くの命を奪い合いました。
おそらくそれらは彼らが小さい頃にテレビで見たヒーロー「忍者部隊月光」の無邪気な世界だったのでしょう。
それだけにまだ救われます。

中国に起きた戦後初めての民主化運動は日本の学生運動とは全く違うものです。
彼らの前に立ちはだかる国家は日本の警察権力などとは比べ物にならないくらい屈強で頑迷で明確な意志をもった存在でしたから。

共産主義とは本来、個々が私有の財産を所有せず平等に経済活動を行い平等に政治に参加できる、格差や階級のない民主主義の究極にある社会の実現を願うものであった筈ですが、結局は国家の意志を決定する官僚や党の指導者が新たな支配階級となり、為政者はその支配体制を維持する為に反逆者や反対思想を持つものを徹底的に排除するようになります。
そうやって警察権力が強大になり、民衆の自由な言論までもが封殺されてしまう、凡そ理想とかけ離れた社会が出来上がってしまった訳です。

戦車に立ち向かう学生の悲壮感はいかがなものだったでしょう。

彼らが求めた民主主義は彼らが対峙した政治体制を考慮すればすごく共感できるものです。
それは民衆の良心とでも言うべきもののように思えました。

さて、中国が抱えた市場主義経済と共産主義政党による一党独裁の内部矛盾は今でも変わっていません。
加えて、WTO加盟後は国際社会のルールを学ばねばならず、行儀の悪い自分達だけのやり方というのが通じなくなりました。
国民を管理するにしても人権を無視したやり方は国際社会から強い批判を受けます。

加えての内部矛盾は、急速な経済発展がもたらした社会主義国家としてはあり得ない激しい格差社会です。
一向に貧しさから開放されない農村には不満のマグマが溜まってきています。
中国のジレンマです。

市場経済は本来、富への欲望を掻き立てるものです。
これらの急激な変化は民衆のコンセンサスを取る間もなく不満の渦を大きくしているように思えます。

硬めの話はもう少し続きます。



Posted by 風街ろまん at 01:14│Comments(0)
 
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