2013年02月15日 13:15
昨日は終日、水俣で仕事。
水俣までは
我が家から御船インターまで朝35分
芦北インターまで40分
インター降りて水俣まで30分
計1時間45分です。
休憩入れて約2時間の長旅ですが
それでも西回り高速が芦北まで伸びて近くなりました。
今工事中の水俣までの延長が完了すると、おそらく20分以上の短縮になると思います。
僕が水俣に赴任した昭和54年時点では、まだ高速は八代まで完成していませんでした。
およそ100km、片側1車線の3号線の道則は、たいそう長うございました。
今でしたら1日仕事で出かけるにはちょっと苦になります。
確かに便利になりました。
新幹線も停まります。
しかし、それでも水俣市の人口は
この間に38千人から27千人に激減しています。
3割減です。
これは水俣市に限ったことでもありません。
減少幅の大小はあれ地方都市、町村は皆同じ。
「国土の均衡ある発展」を謳い文句に
『全国総合開発計画』(全総)が決定されたのが1962年です。
50年が経過しています。
さて、地方は均衡ある発展を迎えたか。
否。
地方は疲弊し、自立の道は遠のくばかりに思えます。
広島大学の伊藤敏安教授は論文
『地方にとって“国土の均衡ある発展”とは何であったか』
(地域経済研究第14号2003年3月)
の中で以下のように述べています。
『国は「国土の均衡ある発展」という言葉でもって地方への関与を強める一方、地方の側は国に依存する結果となった。我が国において地方分権が進まないのは、「国土の均衡ある発展」という理念に対して国・地方の双方が過度にコミットしすぎていた面がある。』
なるほど、国はこの理念の下にこの50年、莫大な予算を投下し地方のインフラ整備を進めました。
地方は諸手を挙げてこれに乗っかり、
橋渡しをする国会議員先生を懸命に応援し、
わが町に高速道路を、橋を、新幹線をと、国にすり寄ってきました。
便利になればひとが来る。
ひとが来れば豊かになると。
今もまだ建設の槌音は止んでいません。
でもって、地方の何がどう変わったのか。
確かに行き来するには便利になりましたが
商店街は寂れ
何処にでもあるナショナルチェーンだけが国道沿いに林立し
何処へ行っても同じ景色が広がっています。
地方の個性は失われる一方で地方の疲弊は明らかです。
理念は
「国土の均衡ある発展」から「地方の個性ある発展」に
すり替わっていこうとしているようですが、
地方は既に個性を発揮する体力も意識もひとも失われています。
自らの選択と責任でもって自立しようにもそれができない。
なんだか日本の農業の在りようにも似ていますね。