親ごころ
このところ日曜日には、5月から阿蘇の病院に入院している父を見舞っています。
父は70歳を過ぎたあたりから、膀胱癌、緑内障と入院が続き、5年ほど前には大動脈瘤破裂で生死を彷徨うような手術を経験しました。
その後は腎機能の低下で透析を余儀なくされ、
3年前頃からは出歩くこともなくなり、ちょっとしたことで入退院を繰り返すようになりました。
元気ではありません。
母が亡くなって10年が過ぎました。
連れ合いを亡くしたことに加え、この数年で仲の良かった父の兄弟姉妹が次々に亡くなったことも気力の衰えを呼び込んでいるようです。
今年87歳。
声にはめっきり力が失くなってしまいました。
病院には退職した姉が毎日付いていてくれますのでいくらか安心なのですが。
昨日、姉から電話で検査結果の報告がありました。
余り芳しい内容ではありません。
まあ、それはある程度心づもりしていることだったのですが。
「あのね、」
話の終い際に姉がトーンを変えます。
姉
「先々週来たとき、あんた、どんな格好しとった?」
僕
『格好って、別に普通の普段着っだったけど・・・・・・。』
姉
「お父さんがね、こう言いよったんよ・・・・。
『 Tは (僕の名前です)着るもんは持たんだろか。あのな、野良着ば着とったぞ。』 って。」
僕
『はあ~?』
姉
「『Tは銀行の支店長までしとったてから・・・あがん格好で。』 ってたい。」
その時は・・・・確かGパンと白いリネンのシャツに綿織りのジレを羽織っていたんです・・・・・。
まあリネンのシャツなんで洗いざらしだと、よれっとしてるのは確かなんですが。
僕
『決して安くはない今ふうの格好なんだけどね・・・・。』
姉
「お父さんの年代にはそう見えるとたい。」
僕
『やっぱ、年相応の格好しとかんといかんとかなあ。』
それで!・・・・僕は合点がいきました。
1ヶ月ほど前のことです。
父がベットの上から、自分はもう着ないから(自分の)背広を持っていけとしつこい程言います。
その時は 『なんで?まさか形見分けの話し?』
僕は姉と顔を見合わせのでした。
その後も父はなんどか姉に
「Tは背広を持っていったかい?」
と言ったという。
姉は
「やったよ、やった。」
と言って安心させたということでした。
ああ、このことであったか。
何故だか父は、僕が新しいスーツも買えないほど困窮していると思い込んでいるのです。
ハハハ、子供を東京の私大にやっているので楽でないのは確かなのですが。
姉
「あんたさあ、今度来るときはネクタイまでせんでいいけどブレザーか何かでカッチリしてきて。」
僕
『ハイハイ。』
誠に持って親不孝な息子でありました。
こっちは親の心配をしてたつもりなのですが。
親はもう年も60に近いという息子を、いろいろ心配しとるという訳でして。
先日見舞った時は、帰り際、僕と家内に
「家族仲良くして頑張らんといかんぞ。」
染み染みと諭した父でありました。
親ごころ。